~マーブルプリントのオリジナルブランド立ち上げに向けて~

ご紹介にあずかりました妹です^^; お気付きの方も多いと思いますが、上のご挨拶文は、姉(野瀬千登利)が書かせていただきました。義兄は、皆さまからのメッセージにていねいに目を通したあと、「ありがたいな……」とひとことつぶやいただけでございます。まことに寡黙な、まさに職人気質の人です。

1963年、姉が7歳、私が4歳のときに、私たちの父は当時勤務していた染色会社から派遣され、マーブルプリントの機械と技術を日本に導入すべく、ドイツに渡りました。そして、その4年後に独立し、日本芸染株式会社(現 株式会社マーブルプリント)を立ち上げました。

亡母は「私がマーブルプリントの洋服を着ることが宣伝になるのよ」と言って、自分のブラウスやワンピースをマーブルプリントで作り、私たちにもド派手な柄のワンピースを作ってくれたりしたものです。 こうして私たち姉妹は、物心がつく前からずっとこの色彩豊かなプリントに囲まれて育ちました。

一方義兄は、一般的なサラリーマン家庭の二男として生まれ、大学は経済学部に属し、在学中は経済学よりもクラブ活動である吹奏楽に熱中していたようです。

義兄がマーブルプリントの職人になったのは、本人の希望というよりは、姉と結婚したために、なんとなくそういうことになった、というのが本当のところのようです。 ところが……この仕事が義兄には大変向いていたようなんです。 姉の言葉にありましたように、姉と私は「今度こそ工場をたたもう」と何度話したか、それはもう数えきれないほどです。 しかし、実は、義兄の口から「やめる」、あるいは「やめたい」という言葉を聞いたことは一度としてありません。 なぜ義兄がこれほどまでにマーブルプリントに打ち込んでくれたのか、それは謎というほかありません。うーむ……。

たいへんありがたいことに、今は、第?次マーブルブームがきているようで、、昨年から今年にかけて、名だたるブランド様からプリントのお仕事をいただいております。来月にも、それらのブランドで作られた素敵なお洋服がお店を彩ってくれるはずです。 しかし、悲しいかな、ファッションには流行というものがあります。今年、お仕事をいただけたからと言って、それが、来年、再来年と続くとは限りません。 むしろ、続かない可能性のほうが高い……。

ずっとペイズリーでよいのはエトロだから。どこまでいってもヘリンボンでもミッソーニならOK……。 「ピーコック柄を作り続けるには、オリジナルブランドを作るしかない!日本のエトロ、ミッソーニになるのだ!」 そう思って、不肖の妹が乗り出した次第です。どうか皆さまの末永いご支持をお願いいたします。

職人の言葉が聞きたかったのに、外野のほうが話が長い!とがっかりなさったみなさま、どうぞお許しください。職人は、自分が作った「もの」で語るもの。

最後になりましたが、弊社をとりあげてくださった、テレビ大阪「和風総本家」のスタッフの皆さまに、この場を借りて心よりお礼を申し上げます。 どうやって弊社を見つけてくださったかは、弊社のホームページを探し当ててくださったスタッフご本人もすでに記憶にないとのこと・・・。その偶然にも感謝!です。

放映後の反響は想像以上のものでした。これほど影響力のある人気番組なのに、ディレクターさんをはじめ、ADさん、技術スタッフの皆さま、本当に謙虚でいらっしゃることに、いたく感動しました。 12月の厳寒の京都で、隙間風の吹くボロ工場(私の会社じゃないのに、失礼~)に何度も足を運んでくださり、工程のすべてをていねいに撮影してくださいました。 「和風総本家」のスタッフの皆さまのお仕事ぶりこそ、「和風総本家」で紹介するにふさわしい職人技です(そういうわけにもいかないでしょうが・・・^^;)。

「和風総本家」があれほど視聴者の胸を打つのは、登場する職人さんたちの姿だけではなく、スタッフの皆さまの番組をつくる真摯な姿勢が画面ににじみでているからだということがよくわかりました。 皆さまの素晴らしいお仕事ぶりに敬意を表すると同時に、義兄、姉とともに、心より感謝いたします。

有限会社 京都マーブル
福永美登利

(株)マーブルプリント
別名「百色プリント」とも呼ばれるマーブルプリントで染色を行う世界で(おそらく)唯一の工場。

(有)京都マーブル
マーブルプリントで染めた製品の企画、製造、販売を行うとともに、(株)マーブルプリントの広報、企画、営業部門を担当。